こんにちは。
クリエアナブキ中国・四国UIターンセンターの鳥取と申します。

この春、一人暮らしをしている母が住む兵庫にUターンすることになり、私にとって大きな節目を迎えました。コロナ禍で、母の認知症が進行してしまい、一人暮らしが厳しくなったため、中学生の子どもを伴っての引っ越しです。

私の地元とはいえ、ママ友もおらず子育て情報も不足、子どもはあと2年で高校受験という不安もありつつ、最も先行き不透明なのは母の介護です…。まさか自分もUターンすることになるとは思ってもみませんでした。 

%E4%BB%8B%E8%AD%B7

Uターン介護を考えたとき、最初にすべきこと

2020年以降、特にコロナ自粛という環境になって以来、仕事におけるスキルアップや年収アップを狙った転職希望の方が減り、代わって、身内の方がお住まいの地域へのUターン、もしくはIターンのご希望者が増えていることを実感しています。

例えば、次のようなお声が増えています。

  • 「地元への帰省が困難になった」(年代問わず)
  • 「コロナ禍で外出が制限され、周りに知り合いも少ない環境下でストレスを抱えている」(20代・社会人1年目)
  • 「都市部でテレワーク勤務するよりも、地元で働きたい」(20代の方)
  • 「親の病気もあり、先の人生を考えるといつかはUターンをと思っていたが、今だと考えるようになった」(20代・30代の方)
  • 「早期退職を検討中。親の介護をするため地元へ帰りたい。」(50代の方)

地元への帰省、そして親の介護は、地元を離れている幅広い年代の方にとって、転職の大きな理由の一つとなっています。

先で述べた通り、私自身、母の介護を目的として地元である兵庫県にUターンしましたが、実現までにはいくつかのチェックポイントがありました。

事前のチェックポイント

 本人の周りで、通院に同行できる親族や協力者が住んでいるか。年齢的に対応可能か。
 サポートする側が仕事を持っている場合、引っ越ししても続けられるか、あるいは転職可能か。
本人の生活全般を定期的にサポートしてくれるサービスが利用できるか。サービス内容は十分か。
 家族に引っ越しの理解が得られるか。

①については、単純に本人の周りで、様子を見守ってくれる人がいるのか、ということもありますが、通院時に同行できる関係性か、という観点も必要でした。

我が家の場合、認知症を疑っていた当初は子ども2人(私と弟)が遠隔地に住んでいたため、日常的な見守りはできない状況でしたが、通院時に駆け付ければ足りると考えていました。

認知症であるかを検査してもらう診断 ※また次の機会に詳しく説明します>にも申し込み、2人で代わる代わる付き添いましたが、脳神経内科や心療内科の診察では、患者の日常を知る者の声が判断材料として重く扱われること、そしてその内容が診断に影響するという事実がわかってきました。

当時は毎朝、母とLINEのビデオ通話で話をしていたため、概ね様子を理解しているつもりでしたが、現在、同居してみてようやく気づいた事実も多く、やはりバーチャルの環境下ではわかることに限界があったというのが実感です。

また、我が家の場合は実家近くに母の弟である叔父が住んでおり、関係性も悪くはないのですが、診察の付き添いとなると、内容が介護認定の判断に直結するため、やはり近しい関係である家族が付き添うということになりました。

診察に付き添う家族がいかに本人の様子を理解しているかが、介護認定、ひいては行政サービスをどの程度利用できるかににつながっていくため、日常的な様子の理解が欠かせないことを実感した次第です。

私の場合、②「サポートする側が仕事を持っている場合、引っ越ししても続けられるか、あるいは転職可能か」は問題なかったのですが、③「本人の生活全般を定期的にサポートしてくれるサービスが利用できるか。サービス内容は十分か」については、介護認定が「要支援1」で、介護保険で利用可能なデイサービスも週に一度と、決して多くはありませんでした。 

かといって、本人が自らサービスを探して申し込むことも難しく、やはり誰かしらのサポートを受け、家の外で人と交わり、活動する機会を得る必要がありました。

緊急事態宣言の対象地域であるため、地域の集会やカルチャー活動がほとんど中止になる中、今も自主活動を続けている体操グループに参加して、何かしら行動する努力を続けているところです。

次回は、住んでみてようやくわかってきた母の様子と、現在取り組んでいる試みについてお伝えします。

 Uターン・移住を考えている方のお手伝いをしています

ここで、少し自己紹介をさせてください。

私は兵庫県出身で、これまで住んだことがあるのは兵庫と東京です。
兵庫で阪神・淡路大震災を経験した後、東京へ移って23年余りを過ごしてきました。

金融系事務、放送業企画職を経験し、仕事に専念していましたが、育児休業中に会社が事業を終了することになりました。会社都合での退職は2度目でした。

このことをきっかけに、再就職支援サービスにお世話になり、CDA(キャリア・ディベロップメント・アドバイザー)の方に出会いました。その時、いつかは同じ仕事に、と心に決めましたが、その後CDAの資格を取得、そしてキャリアご支援の仕事にご縁をいただき、7年が過ぎています。

現在は、中国・四国地方へのUターンや移住を考えている方に地域情報の提供をしたり、転職のお手伝いをしています。地方の仕事や暮らしに関する情報が得られにくいと思ったら、東京・大阪に常設の拠点がありますので、中国・四国UIターンセンターをご活用ください。